Independent blogger-tomo6968

ブロガーとして今後の人生を考え、このブログがブロガーの交流の場となれば幸いと思っております。

親子という事実は消えない・・・

 

 

私と父親の関係

ごく当たり前に「親子」である

 

たとえなにがあろうと

この事実は変えられないし

消えない

 

 

いま私は最低限のことを親子として父親に向かってる

親子という事実があるがゆえに

 

 

 

 

私と父親が共に過ごした時間はわずかだった

疎遠という時間が長くて・・・

いま思い返せば

子供の頃の私は父親と会話も満足にしていなかった

父親だけでなく母親とも

 

幼少の頃の私の世話をしてくれていた父母の存在が記憶にある

でも心を開いて会話をしたとか

あまり記憶に残っていない私

 

もちろん親子として愛情をもって接していてくれたと思う

そう思うんだけど

 

たぶん私が家族という

その空間や関係にたいして情というものを持てなかったのだろう

なぜ

そうだったかは・・・

 

 

しかし父親が高齢となり

いまになって親子関係が求められるといった状況になり

私としては・・・

 

でも仕方がないと割り切ったところで

いまに至る

 

 

なぜ私が父親の面倒をみなければいけないのか

いまになって親子関係だからなんて・・・

私にも自分の家族を守っていかなければいけない

自分自身の人生の為に多くのチャレンジをしたい

そうしたなかで

いまさら・・・

これが私の本心であるが

公的に親子であるという事実から私に求められる部分があって

変えられない事実として受け入れることをしてる

 

 

心の中で親子関係を断ち切ったつもりでも

その事実は消えもしなければ

変えることもできない

 

 

私にとって両親の存在とは?

そう考えることが子供の頃にあった

もう少し普通?

といった家庭であれば・・・

そんなことを感じながら過ごした子供の頃の記憶を

いまでも覚えている

 

 

10代中ごろから両親とは向かい合って会話をすることもなく

私が家に居る時間は寝る時だけ

基本的に家に帰ることは少なかった

関わりたくなかったから・・・

 

10代で結婚した私は育った町を出た

できるだけ両親とは関わりたくなかったので

それでも私に子供ができてからは

最低限ではあるが両親にとっては孫である

だから孫の顔を見せには行っていたが・・・

 

 

この先は書きだすと切りがないので

後日にて少しずつ書いて行くかもしれません m(__)m

 

 

 

私を産み

育ててくれた両親であることには変わりはない

血の繋がり以前に

私としては

一対一の人間であることが前提である

それがゆえに

私と両親の関係には大きな隔たりがあり

けっして消えることの無いものが私の中にはある

 

親子だから

戸籍上において消えることなく変わらぬ親子関係だからとはいえ

私には受け入れがたい問題がある

 

 

さて

この先の父親の面倒をみなければいけない現実に

どれだけ私が誠実に受け入れられるだろうか自信はない

そして疎遠の母親も・・・

 

 

親子だから

身内だから

肉親だから

兄弟だから

 

だから

だから

だから

だから

その事実に縛られなければいけないことに問題がある

 

たとえどうであれ親には変わりない

親に対して・・・

そんなキレイ事では済まない部分が

人対人である以上は

あるんです

 

 

でもね

必要とされるところで最低限の義務を果たす覚悟はあります

しかたないよね

親子という事実を消し去ることができないから・・・

 

 

 

では、また・・・m(__)m