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ブロガーとして今後の人生を考え、このブログがブロガーの交流の場となれば幸いと思っております。

血の繋がりという現実に・・・

 

家族という、そのひとつの表現に「血の繋がり」そんな言葉が思い浮かばれる。

血族なんて言いますね。

 

血を分けた親兄弟、そして子から続く者達も含めて。

生活を共にすればこそ「家族」ではあるが、血の繋がった「家族」。

離れて暮らしていようと「家族」である。

 

この「家族」という言葉の定義。

 

同じ家に住み生活を共にする。

配偶者および血縁の人々。

などが上げられると思います。

 

血の繋がりによって切ることのできない関係。

心理的に縁を切る、その関係性を絶つことはできないことではないと思います。

しかし、現実的に戸籍上において血の繋がりとしての関係を完全に絶つことはできるのか?

法的にできないこともないようですが、実際に詳しく調べたわけではないけど・・・

 

自分自身が縁を切ったつもりでいても、相手(親兄弟)が縁を切ったつもりがない。

そうしたことは多々ある。

その関係を絶ち切ることができない。

 

この「家族」「血の繋がり」ということについて、私はずっと考えてきた。

子供の頃から、ずっと・・・

なぜなら、その多くの血縁関係を絶ちたいと想ってきたから。

 

しかし、現実には絶つことができない。

いつまでも変わることなく、その関係は私から消し去れない。

 

いつまで続くのだろうか?

生きてる限り絶ち切れないのでしょうね・・・

 

 

親子とは、血の繋がりとは、家族とは・・・

いったいどこまで続くのか・・・

 

 

血が繋がっているということ、だから私が背負わなければならないのか?

どこまで私が背負わなければならないのか?

 

いまの現実にたいして、そんなことを思う日々です。

 

忌まわしい・・・とさえ、この「血の繋がり」という言葉にたいして思う。

私の心が冷酷なのだろうか、情というものが私には欠落しているのだろうか?

私は自分のことしか考えられない人間なのだろうか?

 

 

 

正直なところ、父親と母親の存在があればこそ私が存在している。

その事実と、この世に生まれてくることができたことに感謝している。

心身ともに強く産んでくれた母親に感謝はしている。

 

でもね、それとは別なんですよ・・・

親兄弟の存在によって、私の人生にどう影響するのか?は・・・

 

現実から目を背けることはできない。

だからこそ苦しいし、忌まわしいとさえ思えてくる。

 

 

「血の繋がり」「家族」という現実に向き合うしかない。

避けられないものとして受け入れると心に決めたが。

「血の繋がり」この言葉は私には受け入れがたく、まるで呪文の様に聞こえてくる。

この呪いにも似た「血の繋がり」に立ち向かう現実が、いよいよ本格的にきた。

 

 

自分では選ぶことも変えることもできない血縁関係・・・

 

 

 

自分一人で背負うって難しいね

 

ひとり暮らしの父親の存在

私にとって実の親である、その事実は変えようがない

 

 

きょう仕事中に電話がありました。

父親が住む町の地域包括支援センターの職員の方からです。

ひとり暮らしの父親がお世話になっており、ときどき父親の状況を確認してくださってます(有りがたいことに)

 

電話の内容は・・・

父親の体調がよろしくないということで、状況としては左横腹に痛みがある。

腹部に力を入れると痛みがあり、普通にしているときは痛みを感じないという様なことらしい。

それと脹脛が赤く腫れているような感じでだそうです。

父親の状態を確認してくださったところで私に電話をしてくださったわけです。

 

とうぜんのことですが、私に父親の状況を確認する様にということです。

もちろん病院での診察を受けさせるようにということですね。

 

 

父親が自分で病院へ行けるといいんですけど、それもできないんですよね・・・

タクシーを使うとかね・・・

私が病院へ連れて行けばいいだけのことですが、私にも平日は仕事があります。

なかなか都合がつかないのも事実でして、父親のことで私が動かなければいけないことにたいして嫌ということではなく、仕事の都合もある中で予定が組みにくい。

仕事もしなければいけない、自分の家庭の事もあるなかで父親のことも知らぬ顔はできない。

 

私が背負わなければいけないのは重々承知している。

しかし身体はひとつしかないわけで・・・

どう乗り切るのかと悩むんですよね~ほんと・・・

 

地域包括支援センターの方に、お任せします!

私は自分のことで精一杯なので父親の面倒はみれない!

なんて言ってられないんですよね・・・

 

なんかね~

自分のこと、仕事に家族のことなどと考えていると、そこで頻繁に父親のことで動かなければいけない現実に、すこしばかり自信がないんですよね・・・

まだ、本格的な介護が始まっているわけではないんですけど、いますでに自信がない。

これが私の本音です。

 

どうなるんかなぁ~

きょうは父親のところに寄る事ができなかったので、明日明後日に様子を見に行くつもりですけど、来週あたりに病院へ連れて行ってやりたい。

その時間をどう捻出するか?

また、通院が必要だった場合とか入院ということになったら・・・

そうしたことを考えてしまうと、ほんと不安だし対応することができるだろうか?

私ひとりで上手くというか、背負っていけるだろうか?

ほんと自信がないです。

 

 

では、また・・・m(__)m

 

 

 

こちらのブログも更新しました。

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2022年となり10日目です

 

 

今年になって色々なことが起きている状態です。

思いもよらぬ新年のスタートとなり、なんとなく戸惑いながらの日々を過ごしています。

 

 

どんな一年になるんだろうか?

不安が大きく押し潰されないように前を向いていなければいけないのに、抜け殻状態の私です・・・

そんな状態であっても 高齢の父親のことを考えなくてはならない。

 

 

まだ数日間は普段の私に戻れそうになく、ブログの更新もままならないかもしれません・・・

 

 

皆さんにとって良き年となるように心より祈っています。

 

 

では、また・・・m(_ _)m

 

 

 

 

今年もあと10日ほどですね

 

今年一年も残すことわずかとなりました。

2021年も特に大きな問題もなく過ぎていきそうです。

なんかね~

一年て早いなぁ~と思います。

 

 

寒さが厳しくなてきますが、大丈夫かな~と心配になるのが父親のことです。

近頃は顔を見に行く機会も減ってしまっているので、どう過ごしているのか?と気がかりでなりません。

どうしても寒い時季は体調的に心配になります。

 

ちゃんとご飯は食べてるだろうか?

自分で必要な事がちゃんとできているだろうか?

人様に迷惑をかけるようなことはないだろうか?

心配事をあげたら切りがない・・・

 

何事もなく年越しをしてもらえれば、それでいい・・・

ただ、それだけなんですよね。

 

まぁ~年越しする前にいちど顔を見にいくつもりですけどね。

 

 

つくづく思うのは、元気であることがいちばんですよね!

あと10日ほどで2022年になるわけで、父親が普通に何事もなく年越しできますようにと願っている私です。

 

 

来年は、どんな一年になるんでしょうね?

皆が幸せと感じられる世の中であって欲しいと思います。

 

 

近いうちに父親の顔を見に行くつもりなので、その時にまたブログの更新をしようと思います。

 

寒さが厳しくなってきます、皆さんも体調に気おつけて新年が迎えられますように祈っています、

では、また・・・m(__)m

 

 

 

 

親子関係と・・・

 

 

11月もあと1日となりました。

今年もあと1ケ月です。

1年があっという間に過ぎて行く・・・

 

 

きょうは朝早くから父親の所へ行ってきました。

とくに何か問題あってのことではなく、暫く顔を見てなかったので心配で・・・

 

 

流石に寒くなってきたこともあって、なんとなく元気がないのかな?

と、そんな表情をしていましたが、久しぶりに私(我が子)の顔をみて少しばかり元気そうに笑顔をみせてくれました。

いままで、色々な事があって父親として認めるとことができずにきた私・・・

私自身に父親という存在があることさえ忘れていた時期もあった。

 

私にとって家族とはなにか・・・みたいな・・・

血の繋がりとは・・・といったね。

 

 

なぜ、いまになって私の前に父親という存在が・・・

どうしても納得がいかないという部分もあって、そうした感情は薄れてきたけれど、それでも心の片すみには納得がいかないというね。

 

いまになって私が父親の面倒をみるとか、今後の事を私が引き受けなければいけないという現実。

 

でもね、きょうの父親の笑顔を見ながら、仕方がないのかな・・・と。

そう感じたわけです。

諦めというか、避けられない現実とでもいうのか・・・

公的に親子関係にあるという事実が消えないかぎり仕方がないというより、責任ということなのかな?と。

 

 

 

この頃、父親の鬱というか被害妄想的な部分が気になって仕方がない。

もともと人生が上手くいってなかったのだろう、おそらく人間関係においても・・・

そうしたことの積み重ねだろうか?

被害妄想が強いのかな?と、そんな言葉を口にする。

これに関して私にはどうしようもないことかもしれませんが、少なくとも私が精神的に安らぐ時間を与えてあげられる様に心がけていくつもりです。

 

ほんと、心配ばかりかけやがって~!

クソ親父がっ!といいたいところですけどね (^_^;)

 

親子関係か・・・

なんなんだろうね・・・

血の繋がり

親子

家族

戸籍上にて記載されてるがゆえの関係・・・

 

考えると嫌になってくるんで

私自身の人生における未来は明るい!

そうなるために現実に向き合い、前向きに受け止めること。

ですね。

 

高齢となる親との関係、今後もここで書いていくつもりです。

疎遠となってる母親も実は健在なんですよね・・・

そっちも今後はどうなっていくのか、私に降りかかってくるのだろうか・・・

そんな心配も実はあります。

 

 

 

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親子関係

 

いくつになっても親子は親子である。

この関係はずっと変わらない。

そんな当たり前のことは言葉にするまでもないのでしょう。

 

 

しかし、子供も大人になっていくわけです。

親子といえど大人対大人ということになりますが、それでも親からすれば・子供である。

いくつになっても親は子供のことを心配するし、時として子供として扱うこともないとはいえないですよね?

 

まぁ~私は親とは疎遠的な状態であるから、そこまで感じたことはありませんが (^_^;)

 

このブログで父親の事を書いておりますが、父親の気持ちとしてはどうなんだろう・・・

介護らしい介護をしているわけではないのですが、定期的に顔を見に行ったり必要とされることは私がしています。

そんな中で父親から、俺はお前の親だぞ!みたいなところは感じられません。

 

 

過去に書いた記事を読んでくださった方は分かるかもしれませんが、長い間父親とは疎遠となっていたことから、いまさら親だ!とは言えないのでしょうね。

まぁ~腹の中は知りませんけど(笑)

 

私としては、正直なところ血の繋がりなんてどうでもいいんです。

血が繋がっていようが、そうでなくても同じ人間どうしであって何も変わらないわけです。

 

もし他人との違いがあるとすれば、それは責任が伴うということだと思っています。

なにかあれば家族とか親族といったところで知らぬ顔できない、時には公的な責任として(相続とか身元引受など)避けられないことがあります。

 

いま、私は父親との関係を不満には思っていない(思わない様にしてる)つもりです。

どこかで仕方がないことと思っているのも事実ですが。

 

望まざる家族関係のなかで、どう関わっていくのか?

このごろ考えています。

 

世間で起きている親子関係の中での事件とか問題とかを見ているとね、ほんと望まざる家族関係を絶つことができないのは、ある意味ね社会問題だと個人的に思います。

 

兄弟もそうですけど親子関係というのは難しいです。

自立できるまでは親元を離れられないんですけらね。

まぁ~大人になっても離れられない部分はあるんでしょうけど・・・

 

そう考えると、冷たい言い方になりますが、血の繋がりに縛られない関係がいい。

なんか愚痴みたいになっちゃいましたけど、親子関係(血の繋がり)に対して私が感じているというか思っていることです。

 

 

あっ!

もちろん父親のことは最後までみるつもりです。

私は知らない!では済まないでしょうから・・・

親子の絆とか情ではなく、血の繋がりという責任の下に・・・です。

 

 

では、また・・・m(__)m

 

 

 

考えすぎると行動できなくなってしまいます。

 

色々な事を考えてしまいます。

起きている間ずっと自分の周りで起きていることに対して考える。

よくあることではないでしょうか?

 

自分自身を取り巻く環境、人間関係のなかでうまれる問題や不安。

それらをなんとか打破したい。

だから考える・・・

 

でもね、考えていて得策が思い浮かぶだろうか?

どちらかというと不安や心配が大きくなってしまうのではないか、と思います。

 

とはいえ何も考えることなく行動するのも、それはそれで如何だろうか?

 

 

いまの私にとって大きな問題、というか不安であるのは高齢となり、ひとり暮らしをしている父親の存在。

いまからの私の人生に、どう影響してくるのか?と考えてしまいます。

 

ほんと、事実として目の前にある状況をすべてブログに書くことはできないので、読んでくださる方からすると、いったい何がそんなに問題であり不安となるのか?

そう思われるかもしれませんね。

そのあたりは、やはり書けないので・・・m(__)m

 

 

 

もうね~ほんと考えていても仕方がない。

それに私自身が思考し言葉にしたりすることは、いつかそれが現実になっていくだろうと思うからです。

 

ネガティブなことばかり考えてしまうじゃないですか?

どうしても心配事や不安があるとね。

 

だから「なるようにしかならん!」と思っていて、解決していかなければいけない問題を放置するということではなく、必要以上に不安を自ら煽るようなことは考えない。

言葉にしない、ということです。

 

ほんと、考え始めると時間ばかり過ぎていくし、精神的にもネガティブになってしまう。

 

 

いま、いちばん私が考え行動しなければいけないのは、如何なることがあろうと生活が普通にできること。

自分自身の生活が崩れてしまっては、問題や不安に立ち向かっていくことができなくなる。

物事を好転させるための行動ができなくなっていく、そんな気がします。

まず、自分自身を常に安定した状態に保つこと、自らの人生を考え行動することに思考と時間を使うことです。

 

 

考えすぎてはいけない。

 

不安や心配事、直面している問題で精一杯の人生なんて嫌ですよね。

それらは、人生の大半を締めるような大きな問題ではなく、人生の中での通過点にある障害物のひとつだ!

それぐらいに思える様になってきました。

 

だから、考えすぎてはダメだ!と。

 

では、また・・・m(__)m

 

 

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