父親が亡くなって
今年の3月に独り暮らしだった父親がなくなり、気づけば4ヶ月ほどの時間が過ぎた。
あっという間に時間が過ぎてしまったが、まだ難題が残っている状態。
父親の周りのことは一通り片付いたけれど、私の努力だけでは片付かないことが残っていて、それは相続・・・
私を含めて法定相続人は3人、今日に至るまで必要なことはすべて私が一人で行ってきた。
独り暮らしにおいての身の回りのこと(至らないところはあったが)そして闘病中から亡くなってからのことすべてをね。
まあ〜それは私自身の仕事だと、責任だと思ってきたことなので。
問題となるのは相続です。
専門家に頼んでいますが、相続人が私ひとりではないことからスムーズに進まない状態にあり、話し合うことで解決するというのが一般的な考え方です。
まぁ~ここで愚痴をこぼしても意味が無いことなので状況を書くことは控えますが、血族というところでの法的な関係性とは厄介なもだとつくづく思うところです。
一通りの事が終ったところで、今回の私の経験が誰かの役に立つとするならばブログに記事として書くことがあるかもしれません。
家族とは・・・
血の繋がりとは・・・
そこからくる責任・・・
いつかブログに書く日がくるかもしれません。
では、また・・・m(__)m
意識不明の父親
覚悟はしていたけど・・・
きょう父親が入院となり、現状は意識不明という状態です。
うん・・・
昨年末あたりから何となく体調が良くないのかな?という感じではあった。
正直なところ私自身が忙しいという状況の中で様子を見に行く頻度が少なくって気づいてあげられなかったのだろう。
きょうのところは、しばらく入院ということになったわけですが、意識が戻るのだろうか?
仮に意識が戻ったとして、いままで通りの独り暮らしができるのか?
そんなことを考えながらも、実際には色々と問題がありまして・・・
その問題に対して精一杯のいまは、複数のことを考えている余裕がありません。
仕事をしながら親のことを考え対処しなければいけない。
今日一日は父親のことで終わってしまった。
もう日付が変わろうとしているいま、ようやく風呂に入りブログを書いてるといったところです。
父親の状態と、その現実から湧き出てきた問題については後日にでもブログに書いていこうと思っています。
親の介護問題で大変な思いをされている方、もしくは近い将来に親の介護が迫っている方に対して、何だかの参考になればという思いで今後はブログに記していこうと思っています。
今年もあと3日となりました
2022年も残りわずかです。
年末ということもあって、久しぶりに父親の様子を見に行ってきました。
まぁ〜何とか元気?にしているのかな〜という感じでした。
しかし、不安を感じるところもいくつかありまして・・・
顔にアザがあり、どうしたのか聞くことはせず普通に会話をしましたが、どう考えても転んだとしか思えなくって・・・
私からしたら不必要?な物が多くある家の中で躓いて転んだと推測しております。
今年一年を何とか独りで過ごしてくれた父親ですが、来年はどうかなあ?
少々、不安を感じております。
会社勤めをしている私としては、時間が足らないということもあって満足に父親のことをみてあげられない。
このあたりも来年は考えないといけない。
いよいよかなぁ〜?と覚悟しなければいけません。
私が面倒をみなければならないのは事実、だから知らぬ顔はできないのでね。
では、また・・・m(__)m
忌まわしき血の繋がり
私にとって血の繋がりは大した問題ではない。
血が繋がっていることから発生する問題がある。
血が繋がっていようと害悪な存在とは縁を切るべきである。
これは私の経験から言えることで、強く感じています。
他人とか家族とか、たとえ誰であろうと自分自身を含め大切な存在に対して害があると判断した場合、それは確実に距離をとり離れるべきです。
私にとって血の繋がった存在、まぁ〜私に限らす親兄弟、親戚などといった血縁関係は少なかれあるはずです。
家族だから他人には言えない相談を持ちかけられるとか、問題を押し付けられるということは多々あると思うのですが、血の繋がった家族だから他人には頼めないというような感じで・・・
ただ、相談してくるだけならまだしも、問題を起こしなんとかしてくれ!とか、困っているからなんとかしてくれ!という、とにかくなんとかしてくれ!
自分では考えないし行動もしないという、ただ血が繋がった関係だからということで「なんとかしてくれ」を要求してくる。
ほんと縁を切りたい!と思うわけで、しかし戸籍上で血縁関係にあることから責任というような部分があり、ほんと忌まわしくも感じます。
あくまで私の現状から感じていることで、一般的に考えて血の繋がりということに忌まわしいという価値観を持っているわけではありません。
血の繋がった関係というものが、私にとって害悪であるという状況がこの先も続くという現状から、忌まわしくもあり害悪である、そして不必要な存在であると、心底から感じています。
私の人生から排除すべきものは「血の繋がり」である。
時間をかけて少しづつ問題も大きくなり、私に迫ってくる。
いままでは血が繋がっていることで何とかしようと考えることもあったけど、それも限界かな・・・
私にも守るべき大切な者達がいる。
それらの生活、人生に害を及ぼす存在ならば、たとえ血が繋がった者達であろうと縁を切ると決めた。
非情で冷酷な人間と言われようが、私自身の人生と大切な者達の人生を守るためならば悩むべき問題ではなく、関わりそのものを絶つだろうし法的手段をもって縁を切る覚悟はある。
血が繋がっているというだけで、害悪な存在と一生を通して関わる必要はないと思っています。
血の繋がりとは真に忌まわしいものだと、つくづく思います。
12月になり今年も残りわずかとなりました
2022年も最後の一ヶ月となりました。
12月となり寒さを感じながら冬であることを実感するこのごろ。
ここ(はてな)では離れて暮らす高齢の父親の事を書いていることが多く、この先の介護ということを考える状況にあるなかで、思ったことを書く状態です。
まぁ~更新頻度は少ないわけですが、思ったよりも父親が元気?でいてくれていることから更新頻度が少ない。
といった感じです。
今年一年もなんとか父親が倒れることなく頑張ってくれているということですね。
正直なことをいいますと、父親の介護で大変とか困っています!という様なブログを書いても何も面白くありませんもんね。
ただ、はてなで父親について書こうと思ったのは記録として残そうと思ってのことで、辛いとか苦しいという様なことに対して共感とかを望んでのことではありません。
ということで、来年2023年においては他のことも書いていこうと思っています。
では、また・・・m(__)m
こちらのブログも更新しております。
よろしければ覗いてくださいねm(__)m
そろそろ梅雨入りでしょうか?
今夜から雨が降り出します。
予報では明日の夕方には雨は上がるようですが、来週の半ばから週末あたりから雨予報が続いてます。
そろそろ梅雨入りですよね〜
梅雨入りで心配事があります。
もちろん大雨による災害などが心配にはなりますが、私にとて一番の心配は一人暮らしの父親のこと。
思うように自分で買い物へ出掛けたりできるわけではなく、なにかと不自由な思いをしているからです。
雨の日にひとりで出かけることも、必要に応じてあるでしょう。
色々と心配になります。
仮に大雨なので避難をしなければならないとか、そうした状況の中で父親が自分で行動できるか?
雨が続く中で買い物へ行きたいとか、郵便局や銀行などもそうです。
常に私が一緒に居られるわけではない、そうしたことを考えると不安であり心配になります。
一昨日前に父親のところへ行ってきました。
わりと元気にしていましたが、私の前で元気に振る舞っているのではないか?
そんな感じにも見えなくもない・・・
色々とあったけど、いまでは老いた親・・・
知らぬ顔はできないんですよね・・・
私の気持ちとしては、離れて暮らす状態の中で何があるかわからない。
何かあったときに父親が自分で誰かに助けを求めることができるか?
これって、かなり難しいと思っています。
最近になって思うことは、アップルウォッチを父親に持たせたいと考えたりするのですが、定期的に充電をしたり余分な操作をしないとか、色々と注意点を守ることができないと思うんです。
誤った操作を行う可能性が高いので、それもね・・・
なんか現実的ではないような気がします。
いっそのこと父親の住まいにカメラでも設置しようか?
そんなことも考えたことがあります。
ネット環境さえ整えれば可能なんですけどね。
いまは、私に迷惑をかけまいと頑張ってくれてるのが見て取れます。
ある意味ありがたいと思っていますが、それでも近い将来の父親の介護なども含め不安になってしまいます。
では、また・・・m(_ _)m
こちらのブログも更新しました。
よろしければ覗いて見てくださいね。
現実として介護を考えるこのごろ
社会的に介護という現実が大変なことであると認識されてると思うのですが、実際に介護という現実に直面しないと大変さは理解できない。
この頃、そんな風に思っています。
先日の夜中に病院から電話が掛かってきました。
父親が救急車で運ばれたと・・・
深夜1時半頃だったけど、慌てて病院へ向かいました。
その夜、父親は自宅に居たわけで外出していたわけではない。
自宅で転倒したようで頭を怪我した、ということで数針ほど縫うという状態でした。
昨年から私は父親には外出をするな!とまでは言っていませんが外出の際はシルバーカーを使用するなり杖を使う様に話してきました。
やはり高齢となって心配なのは転倒して怪我をすることです。
骨折や頭部を怪我をし大事に至ることは多々あると考えられるからです。
しかし、今回は自宅に居て転倒し怪我をするというね。
家に一人で居たことで、誰も側に居ない状況での転倒であり怪我をした。
外出時ではなく家に居て怪我をする。
ということは、寝ているとき以外は怪我のリスクがあると思えるわけです。
転倒に外も家も関係ないのですが、危険度で言えば家の方が少ないと思っていました。
数年前から足腰が弱ってきているのはわかっていたことです。
今回のことで父親に確認したところ、時々だけど家の中で転倒ということはあったそうですが、縫うほどの怪我は今回が初めて。
ひとり暮らしをしている現状を、どう考えるのか?
私が常に一緒にいられるわけではないし、私にも自分の家族がありその生活を守っていかなければいけない。
当然のことに仕事もあるので父親の側にずっといられない。
高齢となった親の介護という現実が目の前にある、その現実を深く感じたわけです。
今回の事で入院ということはなく、治療して自宅へ帰る事ができたわけですが傷口の消毒と薬を塗らなければいけないので、私が仕事帰りに父親の元へ行き消毒と薬を塗るわけです。
この数日は毎日の日課となっている。
どうなるんだろ?
そんな不安の中で思うことは、私が会社勤めである以上は頻繁に父親の事をみれない。
今後さらに足腰が弱り、怪我や認知症などなどを考えるとね。
私が介護をする立場としての自覚を持つことと、私自身の働き方を考える必要がある。
親の介護をしながら仕事をする。
非現実的かもしれないけど、摸索し仕事と介護を両立させる術を見出さなければいけない。
どうなるかはわからないけど、父親のことを放置するわけにはいかない。
仕事と介護、これが目の前に迫っている。
ついでに離れて暮らす母親の存在も、このごろ不安に感じてます。
両方ともが同時に介護となれば、私の生活は破綻しそうなので、そうなる前に対策を練らねば親と共倒れしかねない・・・
だから、介護と仕事を両立させなければいけない。